国立がん研究センター中央病院副院長・片井均医師に聞く
我が国のがん征圧の拠点として治療から研究までを担う国立がん研究センターで中央病院副院長を務める片井均医師。消化器外科の名医として知られ、多くの医師から執刀してもらいたい医師として名前が挙がることでも知られています。そんな片井医師に外科医としての思い、現在のがん医療の課題などについてお話を伺いました。
患者さんが視界に入った瞬間、重圧が喜びに変わっていきます
──外科医としてどのような思いで治療に臨まれていますか?
外科医は患者さんの体にメスを入れて、こちらから能動的に何かをするわけです。特にがんは大きな病気であり、手術は患者さんの命が懸かっています。絶対に失敗は許されないのですが、決められた手順を完璧にこなしたとしても、治る方と治らない方が出てきます。手術をきちんとやることと、その結果、患者さんが治って評価されるかどうかは別の話です。どんなに上手く出来た手術でも、患者さんを治せないと、敗北感を味わいます。それに耐えられなくて、外科医を辞める方もいらっしゃるのが現実です。
──常に重圧を感じる仕事だと思いますが、ストレスなどはどのように解消されているのでしょう?
生きていれば手術以外にも様々な問題にぶつかるし、いろいろなことを感じます。でも、患者さんが視界に入った瞬間、全部消えてしまいます。患者さんが目の前にいるのであれば、医師である自分はただ治すことだけを考えていればいい。重圧が喜びに変わっていきます。診療以外のストレスも、患者さんと話している間に、いつしか消えていきます。
──外科医として多くの患者さんを救ってこられましたが……。
外科医には自分の腕で患者さんを救おうという思いがあります。私もそういう考え方でしたが、どんなに完璧な手術をしても、がん細胞をひとつ残らず取ってしまうことは出来ないかもしれません。残っているがん細胞は、患者さん自身の免疫力で退治されていることもあるのだと思っています。
近年、抗がん剤などの化学療法が進歩して、手術後に化学療法を行うことで、患者さんを救える割合が高くなりました。また、手術における技術がどんどん向上して、大きな手術をすることで、患者さんが助かる割合は上がっていいましたが、残念ながらここ7、8年は頭打ちになっています。メスのみで患者さんを救う限界があることもわかるようになりました。
──外科医の皆さんは何を目指していくべきなのでしょうか?
大きな手術を行うほど成果があるというような腕の見せどころは減りつつあります。技術は停滞すると退化することがあります。それが心配です。より大きな手術を安全に行うという向上心があれば、通常の手術の技術レベルを維持することは容易ですが、向上心がなくなると通常の手術のレベルも低下するかもしれません。
──片井先生ご自身は技術の維持のために何かなさっていますか?
自分の手術は必ずビデオ撮影して見返しています。よかれと思って変えたことなのに、後で見てみると、前のほうがよかったなんてことがあります。手術の技術自体は行き着くところまで行っていますから、その中で問題点を見出していくのは、努力が必要です。どうしてそれをやるのかといえば、予期せぬトラブルが起きた時に備えているんです。手順をしっかり理解しているから対応出来ると思います。
国立がん研究センター中央病院は、何としてもがんを治そうと頑張っています
──片井先生は外科医であると同時に国立がん研究センター中央病院というがん征圧の拠点の副院長でいらっしゃいますが……。
かつては国立がんセンターという名称だったのが、独立行政法人になって国立がん研究センターに変わりました。かなり抵抗感がありました。ここはがん征圧の拠点として研究もしているけど、病院もあって患者さんの治療をしているわけです。それが今の名称になって、何だか研究だけしているような印象を持たれてしまうことが、実に不本意です。実際、患者さんからも研究だけすることになったのかと尋ねられたことも多々ありました。
──病院は患者さんを治す場だということですね。
国立がん研究センター中央病院は、がんを治すための病院です。職員は日々何としてもがんを治そうと思って頑張っています。やはり研究センター中央病院という研究という文字が、気に入りません。患者さんの中には自分がモルモットのように扱われるんじゃないかと心配する方がいらっしゃいます。
確かに研究的な治療も行っています。標準治療というのは現時点でのベストトリートメント、最高の治療です。多くの患者さんはそれを受けることになります。ベストトリートメントも進化しなければなりません。未来のベストトリートメントを生み出すために、最新の治療を用いた研究的治療があれば、きちんとリスクを説明し、選択枝として提示することがあります。コミュニケーションは重要で、きちんと信頼関係が出来ていれば、患者さんは最新の治療を臨床試験として受けたとしても、自分がモルモットになっているとは感じないのではないでしょうか。
──がん医療全体を引っ張っていくお立場として、課題に感じられていることは何でしょうか?
欧米では一般的に使われている医薬品が、国内では保険適応でないため、標準治療として使えないドラッグ・ラグの問題はかなり解消されてきましたが、それでもまだ十分ではありません。遺伝子検査で異常が確認され、効果が期待出来そうな治療薬がわかっても、保険適応でないとすぐには使えません。それをすぐに使えるようにしていくのが、自分たちの役割だと思っています。ここは病気というより制度との戦いですね。
次にお金の問題。研究はお金がないと出来ません。野球にたとえると、ヒットを打ち続けないと、継続して研究費をもらえません。10打席のうち、9回は三振する覚悟で、ホームランを狙っていると、最初の3打席か4打席くらいで切られてしまいます。例えば宇宙に行って、彗星の石を拾ってくる研究なんて、すぐに成果が出るわけじゃないし、実現したとしてもすぐに何かの役に立つわけでもありません。でも、そんな研究が出来なくなったらノーベル賞をもらう人はいなくなってしまうのではないでしょうか。
──最後に患者さんへのメッセージをお願いします。
医師は患者さんに対して自分の親や兄弟だと思って向き合っています。それくらい治したいという気持ちでいます。中にはちょっと人当たりが悪い医師がいるかもしれません。毎日、たくさんの患者さんを診察する中で、十分な時間が割けないかもしれません。でも、医師はそんな思いでいることを、どうか汲み取っていただきたいと思っています。少しだけ医師のことを優しい目で見てもらえれば、医師と患者さんの信頼関係が築き易くなります。同じ治療でも心地よく受けられ、より成果が出たりするのではないでしょうか。