腎臓がんを乗り越え、リングに復帰した小橋建太さん(前編)
「絶対王者」と讃えられ、多くの熱狂的ファンから支持されたプロ
──腎臓がんと診断された時のお気持ちは?
10年前は所属するプロレスリング・ノアのメインイベンターとして充実していた頃です。GHCヘビー級のベルトも腰に巻きました。39歳とプロレスラーとしては一番脂の乗る年代です。それが突然のがん宣告ですから頂点からどん底の気分でした。がんといえば「=死」というイメージがありましたから、もう死んでしまうのかなという思いがよぎりました。実は脳梗塞の治療で休んでいた高山善廣選手の復帰戦が控えていたんですが、主治医の先生にはその試合に出てから手術をすると伝えました。死んでしまうなら最後までプロレスラーでいたいという思いがありましたから。
──がんを患った体でリングに上がるのは……
さすがに先生から怒られました。プロレスは激しい運動ですし、投
──手術では片方の腎臓を摘出されたそうですが……
出来るだけ筋肉にメスを入れないよう、腹腔鏡を使っての手術でし
「生きることが出来たらまたプロレスが出来るかもしれない」
──小橋さんといえば猛練習で知られていました。
悩んでいても仕方ないので先生に相談して、軽い練習から再開しました。そして、少しずつ回復していく過程で、やはり自分にはプロレスしかないなと確信したんです。まずは生きることが何よりです。そして、その先には何があるのか。自分にとってはそれがプロレスでした。病気を乗り越えて生きることが出来たら、またプロレスが出来るかもしれない──そんな光が差してきたような気がしました。復帰に向けての練習……というよりリハビリですが、それを続ける中で、気持ちがだんだん前向きになっていったのを覚えています。
──とはいえ、普通の病気ではありませんから、復帰までのご苦労は大きかったのでは?
体を元に戻すということは、筋肉をつけるということです。激しいトレーニングをすれば、体に負担はかかります。また、筋肉を増やすには、良質の蛋白質を摂取しなければいけないんですが、それが腎臓にはよくないんです。一進一退というか焦ってばかりの毎日でした。
──翌年の12月、1年半ぶりにリングへ戻られましたが……
特に復帰戦だからという感慨はありませんでした。いつものように「いくぞ!」と拳を握りしめてリングへ向かいました。1年半というブランクを短いといってくれる方はいますが、プロの運動選手にとっては大きな1年半です。思い通りに動ける時間なんて限られていますから。