白血病と診断され、2度の臍帯血移植などで復帰した松井理悦さん
株式会社アジアンアキンド代表取締役
松井理悦
唐揚専門店「天下鳥ます」を国内外で展開するアジアンアキンド代表の松井理悦さん。5 年前に白血病と診断され、一時は余命宣告など絶望的な状況に陥りながらも、2 度の臍帯血移植などで乗り越え、仕事に復帰。事業に意欲的に取り組んでいる。今月はそんな松井さんに闘病の経緯などについて語っていただいた。
死ぬか生きるかなので迷いはありませんでした。 ゼロか100の勝負ってビジネスならよくある話 |
―白血病と診断されたきっかけは?
5年前、脱腸になり、外科でみてもらったところ、血液検査に異常があるので、血液内科に行ってくれといわれました。骨髄から採血して、詳しく調べた結果、慢性骨髄性白血病との診断でした。白血病の影響で脾臓がハンドボール大になり、それで腸が押し出されていたんです。あまり実感がないというか、映画のワンシーンみたいだったのを記憶しています。
―その後の治療は?
慢性骨髄性白血病は薬で抑えられるんですが、その頃、会社の状況が悪化して治療どころではなかったんです。普通なら潰れているところを、何とか凌ぎきりましたが、病院には行けないし、薬も飲まないような状態を続けていたせいで、急性リンパ性白血病に悪化してしまいました。こうなると生存率は数%。骨髄移植しかないということで兄弟3人に調べてもらったんですが、全員、適合しませんでした。白血病と宣告された時は、あまり実感がなかったけど、あの時ばかりは泣きました。わざわざ来てくれて、それなのに適合しなかったことが申し訳なくて……。それでドナーを問わない臍帯血移植に切り替えたんです。頭痛、吐き気、下痢……ありとあらゆる不快症状が襲ってくるような感じ。でも、3箇月もせずに退院して、1年程で随分回復してきて、薬も飲まなくてよくなりました。
―生存率数%に入れたわけですね。
ところが、その後、また仕事のペースを上げていって……。3箇月に一度は海外に行くような生活だったんですが、ある時、タイに行く飛行機の中で強烈な頭痛に襲われました。何とか帰ってきたんですが、めまいと吐き気で立つことさえ出来ない。白血病が脳で再発していたんです。放射線、抗がん剤、2度目の臍帯血移植を受けました。実はこの時、余命宣告をされました。このまま放置していたら2箇月、生存率は5%以下。投薬で症状を和らげながら半年くらい生きるか、成功率5%以下で余命を縮めかねない臍帯血移植をするか、判断を迫られました。
―結果、5%の確率に懸けて……。
死ぬか生きるかなので迷いはありませんでした。ゼロか100の勝負ってビジネスならよくある話です。でも、頭痛や吐き気、下痢はもちろん、肺炎に帯状疱疹……。2回くらい意識がなくなるというか、お迎えが来たなという感覚を経験しました。入院時、61㎏あったのが32㎏にまでなりました。こうなると歩くのも無理。でも、そこから徐々に食事が出来るようになって、1年1箇月くらいで無理やり退院。何とか大変な時期を乗り切って、現在は医師によると7~8割は治っている状態です。あんな状況から回復した患者は見たことがないといわれます。
―病気を振り返られて感じることは?
白血病になったのは会社が最悪の時でしたが、身体がよくなったら、いい話が来たり、売上が回復したり……。そういうのって風だと思うんです。病気になってからは雨だったのかもしれないけど、いい風が吹き出したんでしょう。今はほぼ普通に食事も仕事も出来ていますが、帯状疱疹の影響で歩けなくなって、車椅子の生活です。あれこれ不便ですが弱い立場を経験出来ています。坂とか段差で誰かに助けられることだってあります。そういう思いやりの大切さがわかったから、たくさんの方に伝えていきたいですね。